藤本さちこ
1974年南区宮山台生まれ。
宮山台小・中学校、府立堺西高
近畿大学短大通信教育学部卒業。
関西医療学園専門学校卒業。
鍼灸師として10年間従事。
2017年衆院17区立候補。
2019年4月統一地方選で初当選。
堺市議会議員に。
党堺地区常任委員。
若松台在住、家族は夫とねこ2匹。
2023/3/31 堺市議会議員選挙告示日
出発式のスピーチよりの動画です。
生い立ち
その1
人一倍、怖がりな子どもでした。
「ウルトラマン」は怪獣が出てくると消していました。
親に連れられた赤旗まつりの「戦争写真展」で、焼け出された子どもや瓦礫になった町の写真を見て、あんなことが自分の身の上にも起こるんだろうかと夜眠れなくなるほど恐怖を感じていました。
「戦争は絶対だめ」の原点だと思います。
外遊びよりも本が好きで、小さい頃は「ちいさいモモちゃん」「うさこちゃん(昔はミッフィーちゃんはこう呼ばれていた)」小学生の頃は「コロボックル」のシリーズなど読んでいました。
今でも目の端に何かよぎった時に「コロボックルが走った」と思います。
たいがいは通りすがりの猫なのですが。
猫が出てくる日曜版の「銀河鉄道の夜」も好きで、初めて本を読んだ気持ちを思い出しながら楽しみに見ています。
その2
本が好きで司書になろうと思い、近畿大学短期大学部の通信教育部に通いました。勉強しながら仕事もしようと職探しをしている時、女性ドライバーのタクシーが走っているのを見かけたのです。
その瞬間「私もやってみよう」と直感しました。
堺市内のタクシー会社に面接に行き、二種免許を取って採用。
23歳の時でした。毎日あちこち走るのは楽しく、いろんな人との対話から、「社会には本当に様々な事情を抱えた人たちがいる」と学びを得ていたと思います。
大型バイクの免許も取り、新たなチャレンジそのものを楽しんでいたような時期でした。
司書の資格は取れたものの就職は難しく、どうしようか迷っている時、ふいに「鍼灸師になりたい」と思い立ちました。
タクシードライバーをしつつ鍼灸師を養成する専門学校に3年。
夜間のクラスだったこともあり、同級生は高卒後の18歳から、定年退職後の人まで、社会人経験者も様々な職業から来た人たちが集まっていました。
その3
「鍼灸師になりたい」と働きながら3年夜間の専門学校に通いました。今思うとなぜ鍼灸師だったのか自分でも不思議ですが、この道で生きていこうと修練に励む日々でした。
資格を取得し、在宅療養の方の訪問施術をする治療院に勤めることになり、そこで様々な生活実態を目の当たりにしました。
生まれた時から進行性の難病を抱えた方、突然の免疫系の病気を患われ起き上がることも困難となった方、若いころの過重労働で激しい腰痛を持つ夫さんと、その夫さんに介助されながら日常生活を送る透析患者の妻さん。
「もう生きてるのがしんどいなあ」という人に、何とか明るい気持ちになってもらいたいと自分や家族、TVやラジオの話をしながら、自分の非力さを感じていました。
病気という理不尽といっしょに生きていくつらさ、さらにその人たちに関わる政治、医療や介護や福祉の制度がいかに冷たいかを仕事の中で思い知ることになりました。
その4
患者さんと話す中「なぜまじめに働いて年金を納めてきた人が、まともに暮らせない年金しか受け取れないのか」「なぜ制度が悪くなり、ケアワーカーの仕事が大変になっていくのか」と矛盾を感じ、その根本に政治があることに気づきました。
「政治を変えるために自分も何かしたい」と思い、2012年に共産党に入党。
その3年後に、堺市南区の府会議員候補に、と要請を受けました。
最初は「とてもできない」と悩んだのですが、悩んでいる状態から抜け出したい思いで引き受けることに。
共産党に入ったことは周りに黙っていたので、職場や患者さんに「選挙に出るので仕事を辞めます」と伝えた時、何と言われるかどきどきしたのですが「応援するわ」「あかんかったらまた戻ってきてな」
安倍首相(当時)ファンの患者さんにも「知り合いが選挙に出るならどこの党もない。がんばりや」と激励され、驚いたのを覚えています。
そして結果が落選となった後、本当にまた同じ職場に戻り、再び患者さんのもとに訪問することになりました。
(写真は治療バッグを担いでバイクで訪問している時のものです)